百瀬博教のミッドナイトシュークリーム 夏 特別編 鳥越祭
語

 「百瀬」と染め抜いた富士絹の半纏を着せると、母は私の低い鼻に水で溶いた白粉(おしろい)をすっと塗ってくれた。七歳の時のことである。喜び勇んで線路向こうの祭り会場へ走ったが、級友はまた誰も来ておらず、
<何だ、この野郎は…>
 という年上の子供の目ばかりだった。私以外の子供達は学校へ通うのと同じ粗末な服装をしている。無理もないことだった。日本がアメリカとの戦争に負けて二年目の昭和二十二年、大空襲を受けた日本は物資が欠乏していて、国民の誰もが困苦に喘いでいた。そんな暗い風潮をふっとばそうと、市川市圦下(いりした)の有志が樽神興を作って、子供達のために昔から伝わる祭りを再開させたのだ。
 早く仲間の一人でも来ればいいのに、と思っていると、
「おい、こっちへ来い」
 見たこともない背の高い奴が私の腕を掴んでぐいぐいと引っ張リ、横丁の奥へ連れて行った。圦下は、北越製紙工場へ続く引込み線があったり、夏になると四方へ腐ったさつま芋の臭いを撒き散らす宝酒蔵があったり、田甫の続く道のそこここには力ーバイト工場、映画フィルム現像所等があって、夜は鼬(いたち)が跋扈(ばっこ)する場所で、一度も足を踏み入れたことがなかった。だからこの辺リに私を助けてくれる者は一人も居ない。
「手前(てめぇ)、なまいきだぞ」
 背の高い奴がいきなり殴った。そ奴の他に数人が私を囲み、中の一人が、
「半纏なんか、いっちょまえに着やがって」
 そう言い終ると、向こう脛(ずね)を蹴り、私は砂地へ倒された。起き上がろうとするところを、何
木かの腕が私の頭を押して、口いっぱいに砂を噛(か)まされた。あんなに苦しかったことはない。敵が引き揚げたあと、私は半纏の袖口で口を拭った。その布の優しい感触といったらなかった。殴られた痛さでは泣かなかったが、兄のお下がりの大事な半纏を汚してしまった腑甲斐無さに、ちょっぴり泣いた。
 十六歳、初めて「鳥越祭り」で大人用の半纏を着た。父の乾分で鳥越一丁目に住んでいた福井の半纏だった。福井組の若衆達に混じって、鳥越神社名物の千貫神輿を担いだ。「ソイヤ」とか「ホイヤ」という掛け声を耳にして、ここでは「わっしょい」とは言ないんだと不思議に思った。この十七年後、「わっしょい」は韓国の古語「ワッソ(神様が参りましたの意)」が日本に伝来し、神輿を担ぐ時の掛け声に変ったという論文を獄中で読み、なるほどと思った。
 三十四歳、出獄。その翌年から「鳥越祭りを愉しむ会」を主催し、今日に到っている。最初は二十三人だった会員も、今では優に千人を越える。
 石津謙介(名誉会長)
 E・G・サイデンステッカー
 中村雀右衛門
 木滑良久
 秋元庫
 周防正行
 安西水丸
 花田紀凱
 等の紹介で、西部遇、堀芙沙子、林家木久蔵、辻村ジュサブロー、山田吾一、八木昌子、入江若葉、三田寛子、石川次郎、金子國義、花井幸子、秋吉久美子、友竹正則、高品格、高杉早苗、鈴木真砂女、本山可久子、天地真理、白鳥通枝、尾形大作、清水美砂、中原道夫、片桐夕子、原田維夫、荒木経惟、雀部敏子、平山莉子、佐賀純一、木村梢、糸井重里、三根則子、本郷功次郎、古城都、友里千賀子、諸橋稔、伊佐山ひろ子、安部寧、大下英治、石橋静江、石井和義、六平直政、浅香光代、臼井京子、高平哲郎、中松義郎、川口厚、佐藤伴子、渡辺くみ子、秋山忠弥、内野二朗、加瀬景子、上条恒義、上野昂
志、内田喜三、吉川潮、小澤重博、掛尾良夫、大田垣晴子、沢野ひとし、鈴木八朗、高野ひろし、高原駿雄、種村国夫、中村獅童、新川雅一、草刈民代、中津攸子、内藤誠、立川談志、フランク・コーン、比屋根英夫、三田高裕、田中春生、小林勝彦、関谷勝己、芝田京子、中村芝雀、田中義丈、熊川愛子、千葉弘忘、梓澤秀明、市野川昌也、武元誠、宮本敬文、桝井省志、村上信乃、長坂信人、折敷出慎二、小川陽子、山木コテツ、奥野牡介、亀井龍夫、古今亭志ん朝、椎根和、福井明、井上公治、志茂崇弘、島崎すい、猪村淡、山口重直、高橋秀幸、西村治樹谷井澄子、花太郎、麻生洋央等が会場に顔を出してくれた。
 二〇〇〇年最後の鳥越祭りは、朝から雨だった。爪皮(つまかわ)付きの足駄を履き、車で両国の「岡田屋」へ向かいながら、腕時計(カシオ・リスト・オーティオ・プレイヤー)から流れる石原裕次郎の「狂った果実」を聴いた。昨夜、「PRIDE」ファンの曽原健からプレゼントされたものた。裕次郎は「雨男」として有名である。裕次郎の歌声が30分も入った時計が届いた宵宮(きのう)から、雨の祭リは決定的だったのだ。岡田屋で、高田延彦、桜庭和志、松井章圭が履くビニール製の草履を買った。三人がやって来たら、毎年山口はるみが贈ってくれる、はるみ柄の浴衣を着せるつもリだからだ。
 鳥越神社前の会場に着たのは一時。
「会長、ご難沙汰しております」
 香田芳松が深々と頭を下げ、挨拶した。一年ぶりに会う顔だが、元気そうだ。
 香川の背中には、龍虎の刺青が彫られている。龍が掴んでいる玉に「百」の字がある。
「百瀬と入れたかったんですが、そうすると縁が切れる、と彫師(せんせい)から言われましたので、百だけにしました」
 彼が背中を見せてそう言ったのは、十二年前。
<目眩く苦痛に堪えて、香田が彫ってくれた百の字を凝視した。異端この上ないが、現代人が疾うに失くした「心」を、花繍(ほりもの)で具現した漢を頼もしくも哀切に思った>
 これは拙著『不良日記』の「中間報告」の条(くだ)りてある。香田と喋っていると、彼の若い者が、酒は一滴も飲めない私に、大きなコップ一杯のオレンジジュースを差し出した。

Copyright(c)2002 momose hiromichi All rights reserved